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小説を読むのは体にいい?

「読書する女性とパラソル」アンリ・マティス  先日、朝、うとうとしながら、寝床の中で枕もとのラジオをつけて、何気なく聞いていると、「小説を読むのは精神と体にいい」という話が流れてきました。ある研究によると、余暇として、小説を日常的に読む人は、全く読まない人より、約2年ほど長生きする・・・というような、「本当かいな?」と思うような情報に、思わず、目がしゃっきりと開きました。これが、新聞やら、マガジン、SNSのメッセージに読みふけるのはではなく、とにかく、 小説 がいい、という事なのです。色々、これをするといい、あれをすると長生きする、という情報が行きかう中、こんな話は、初耳です。 小説を読むことが、なぜ精神に良いかという理由は、悩みやストレスがある時、今まで、心が内へ内へと向いて、自分や自分の状況ばかりに焦点を当ててしまい、くよくよしていたのが、物語の世界へと注意が移り、精神が安定してくるというのがひとつ。次に、小説内の登場人物へ抱く感情は、実生活での人間関係の経験と、ほぼ同様の効果があり、他人を理解する能力が向上、また、他人とのつながりを感じるという、ソーシャルな影響もあり。この小説の力で、自分中心の世界から外へ連れ出されることにより、常に痛みに悩まされている人も、痛みが多少なりとも緩和されたりするのだそうです。コロナのロックダウン中には、私も読書と映画には、精神的に、かなり助けられましたしね。 物語を読むと、脳の血流が盛んになるという事も研究でわかっているといいます。語彙が豊富になるのはもとより、内容を追い、描写を想像したりすることで、語彙をつかさどる以外の脳の部分も刺激され、たとえば、花の香りなどの事が書かれていると、嗅覚に関わる脳の部分も活発に動き始めるのだそうです。そんなこんなで、小説を毎日読むと、ボケにくくなる・・・黙読でも十分だけれど、本を音読すると、さらに、記憶力が良くなるそうです。という事は、子供や孫に、本を読み聞かせてあげるというのは、子供のためにはもちろん、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃんの脳みそにも良い効果があるという事になります。 それから、一日30分本を読む人は、読まない人より、23か月、長く生きる・・・という研究の話が出たのですが、これに関しては、はっきりした理由はわからないと。どのくらいの規模の研究で、どういう人たちを対象
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ガヴァネス(女家庭教師)

前回のポストに書いた、ヘンリー・ジェームズの小説、「 ねじの回転 」の主人公は、住み込みの女性家庭教師でしたが、この職業は、英語で言うと「Governess ガヴァネス」。ビクトリア朝のイギリス小説、または、この時代のイギリスを舞台にした小説には、よくこのガヴァネスが登場します。一番有名なところで、シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」(Jane Eyre 1847年出版)ですかね。 どういう人物が、このガヴァネスという仕事についたのか。中年のガヴァネスもいたものの、大体の場合が、教育のある中流の若い女性で、何かの事情で、家計が苦しくなり、外に出て金を稼ぐ必要があった人物。貴婦人(レイディー)が外に出て働くという事が、蔑視されていた時代、一般の召使、店の売り子などの労働階級の女性がするような仕事は、たとえ、貧しくても、やりたくもないでしょうし、やるわけにもいかない・・・彼女らが、多少の面目を保ちながら、できるのは、学校の教師、または、ガヴァネスだったわけです。 雇い主は、最初は、貴族、上流階級の家庭であったのが、徐々に富裕になって、財を成した中流家庭も、ステータスシンボルとして、上の階級をまねて、ガヴァネスを雇うようになっていった。教える子供の年齢は、女の子は、5歳から18歳くらいまでと幅があり、男の子は、大体が学校へ行くまでの年、8歳くらいまでであったようです。教える内容は、読み書きと計算などの、基本的なものから、子供のニーズと親の野心に合わせて、フランス語、イタリア語、数学、ピアノ、ダンス、水彩画などなど。良い結婚をするために、女性としての価値を上げるための、花嫁修業的な要素の、歩き方や身のこなしなんぞもあったようです。また、キリスト教的モラルを教えることも多少要求され。 勤め先の家庭で、寝起きを共にするガヴァネスですが、雇い主から見れば、一人の雇用人ですから、家族の一員として、同等の扱いを受けることは稀、横柄な態度で扱われる事はしばしば。一方、労働階級で、大体の場合はあまり教育のない他の召使とも、違う立場の人間であるため、時には、「同じ雇用人なのに、えらそうに。面倒かけやがって。」のように、反感を買う事もあったようです。要するに、上からも下からも、完全には受け入れられず、居住する館内で、心許せる人を探すのが難しい、精神的に隔離された存在であった。「ねじの回

ねじの回転

怪談などを集まって語り合う・・・などという事は、日本では夏に多い・・・暑い夏の夜に、怖い話を聞いて、背中をヒヤッとさせる、というわけでしょうが。欧米で、お化け話の集いは夏というより、ハロウィーンあたりからの晩秋や冬のイメージが強いです。特に、イギリスの夏などは、10時ころまでほの明るかったりするので、お化けの登場できるような真っ暗な時間が短い、というのもある! 米作家(のち、英国籍取得)の、ヘンリー・ジェイムズ(Henry James 1843-1916)著の「The Turn of the Screw」(ねじの回転)も、こうした怪談話の会合が、暖炉を囲んで、クリスマスイブに開かれているところから始まります。参加者の一人のダグラスが、かつて自分の妹の家庭教師であったが、今は亡き女性の経験談の手記を、この集まりで読んで聞かせる。自分より、10歳年上であったというその女性は、自分だけに、彼女の昔の奇怪な経験を教えてくれたということ。その手記の内容がこの物語になっており、話は、主人公の女性家庭教師により、一人称で語られます。 ざっとしたあらすじは、 舞台はイギリス、田舎の子だくさんの牧師の家に育った主人公の女性は、エセックス州の田舎にある大きな館に住む幼い兄妹(マイルズとフローラ)の面倒を見る、住み込み家庭教師の職に応募する。雇い主は、兄妹のおじで、この二人の両親が死んだあと、面倒を見ることになったが、独身で、ロンドンでのプレイボーイ風生活を楽しみ、あちこち旅行も続けたい彼は、自分を一切煩わせることなく、いちいち自分に連絡を取ることもなく、全責任を負って、田舎にいる子供たちの世話してくれるような家庭教師を探しているという。主人公は、この美男で魅力的な雇い主に心惹かれ、淡い恋心まで抱き、いささか疑念を持ちながらも、職を引き受けてしまう。以前、家庭教師をしていた女性は、急死してしまったと聞かされる。 巨大な館には、古くからの家政婦のグロス夫人と、料理人、庭師などの、ごく少ない召使たちのみ。主人公は、愛らしい少女フローラに紹介され、瞬く間にこの少女を気に入る。兄のマイルズは、寄宿学校に入っているものの、休みのために間もなく戻ってくるが、その直前、学校側からの手紙で、理由は、はっきりと書かれていないものの、他の生徒への悪影響を考え、マイルズは、退校処分にするとの通知。マイルズのよ

イギリスの中世のお祭り(メディーバル・フェア)

 毎年、このくらいの季節になると、近くの教会(上の絵右手後方)から、Mediaeval Fayre(メディーバル・フェア、中世の市・祭り)開催のお知らせのビラが届けられます。コロナ禍のため、去年、一昨年と、2年続きで、この中世フェアは催されていなかったのですが、今年はちゃんと、やりますよ、とうれしいお知らせ。 うちの町のメディーバル・フェアは、だいたいの場合が、6月後半の土曜日の午後で、教会の敷地内に、色々な屋台が立ち、ちょっとした余興が催され、2ポンドほどの低額の入場料を取りますが、売り上げは、教会建物のメンテ、修復作業費用などに回されます。14世紀に遡る教会なので、きちんとメンテしてもらって、ずっと立っていてほしい。 主催者たちや参加者は、中世風の衣装を着て、昔ながらのフェア(市)の雰囲気を盛り上げ。ちなみに、Fayreとは、 昔の英語のスペルで、Fair(市)の事。日本語の「いち・市」に当たる言葉に、フェア(Fair)とマーケット(Market)がありますが、その違いについては、以前の記事( バーソロミューの市 )に書きましたので、ここでは省略します。もっとも、この教会のある小さい丘は、昔はマーケットが開かれていた場所でもあります。 さて、このお知らせのビラには、いつも、屋台で売るための物の寄付を募り、それを回収に来る日時の知らせも書かれています。この回収日は、いつも、週日の6時過ぎで、大体の家庭が家に帰っている時間。この寄付のお願いの記述が、ちょっと面白いので、ここに書き写してみます。 まずビラの、最初の部分に、「このメディーバル・フェアは、教会の年中行事の中でも重要な資金調達のためのイベントでもあり、教会は、他の慈善団体同様、コロナ禍での寄付金の減少に悩まされていました。とはいえ、支援してくれる方々も、物価上昇に苦しんでいる今日この頃、販売品の値段は通常と同様にしたいと思っています。」と書かれてあり、屋台で販売するものの寄付を募る部分に、 Will you please donate a bottle of wine or pop or something? Please note that goods must be within their use-by-date. ワインや清涼飲料の寄付をお願いできますか?品物は、賞味期限が切れていないものをお願いし
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プラチナ・ジュビリーのパーティーとビーコン

近所のプラチナ・ジュビリー記念ビーコン(かがり火)  イギリスは、昨日6月2日から始まった、 エリザベス女王即位70周年 を記念するプラチナ・ジュビリー・ホリデーの真っただ中ですが、バッキンガム宮殿のみならず、各地の地方自治体が、色々な催しを行っており、昨日の午後は、我が家から歩いて1分とかからない小川のわきの緑地でも、ちょっとしたコンサートと野外パーティーが催されていました。 うちのお隣さんは、クラッシックカーを所有していて、なんでもクラッシックカーは特別に緑地内に駐車を許されていたらしく、他の2台のクラッシックカーと並べて駐車し、車の中から、コンサートを眺めていました。もうすでに、3時くらいから、音楽が聞こえていたのですが、私たちは、夕食を終わらせてから、腹ごなしもかねて、のこのこ覗きに行きました。お隣さんによると、もっと早い時間には、ちょっと太りすぎのエルビスのそっくりさんなども出てきていたそうで、見栄えはともかく、なかなか上手かったなどと言っていました。なんだ、前から知ってたら、エルビス見に行ったのに・・・。 屋台などもいくつか立ち、臨時トイレなどもあり。屋台の食べ物は、いい匂いはするものの、典型的イギリスのファーストフードで、不健康そうなものばかり売っていたので、こちらは冷やかしでのぞいただけ。コンサート舞台のそばで踊る人たちなどもおり、みんな、幸せそうでした。コロナ、ウクライナ、インフレ等々、暗いニュースばかりだったところへ、ぱーっと陽光が差した感じで。 私は、今の家に住んでもう20年以上たちますが、ここの緑地で、これほどの催しが開かれたのは、初めての経験です。即位70周年・・・これが女王のジュビリーの最後になるのでは、と思う人が多いせいか、地方自治体も力をいれたのかもしれません。うちのだんななどは、75周までは大丈夫じゃないか、などと言ってますが。でも、即位75周年記念の前に、女王は100歳に達するので、そうなると、100歳のバースデー祝賀の方が先に来ますね。 宮殿前の巨木インストレーションの点灯 夜の9時半ころには、バッキンガム宮殿前に備え付けられた巨大な木のインストレーションの点灯をはじめに、イングランド各地にあるビーコンに火がともされることになっており、うちでも、隣村に常設してあるビーコンまで車で行って見てこようか、などと話していたのですが、なん

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日本訪問中のエリザベス女王とエディンバラ公(1975年5月) コロナのロックダウンの間、お出かけがほとんどできない憂さ晴らしに、スクリーン上で日本旅行をしようと、私は、「男はつらいよ」シリーズの全作を、家で見て楽しみました。「それが、エリザベス女王と何の関係があるんじゃ?」と言わずに、まあ、読んでください。 その中の、シリーズ第15作、1975年8月公開で、浅丘ルリ子のリリーさんが2回目に登場する、「寅次郎相合い傘」の冒頭のシーンを見ている時、日本訪問中のエリザベス女王と夫君エディンバラ公フィリップ王子が、上の写真のごとく、オープンカーで手を振るテレビ画面が映し出されました。それを見ていた、おばちゃんが、(女王は)自分と同じくらいの年なのに、若く見えるという感想をのべ、さらに、ずっと立ちっぱなしで、疲れるだろうに、大変だ。それを聞いていたタコ社長が、でも、ああやって笑っているだけで、おまんま食えるなら、いい、それなら、自分だって、立ちっぱなし位我慢する、と返事。さらには、おいちゃんが、ご主人は養子だってな、とくると、おばちゃんが、おとなしそうで、うちの博さんに似ている、するとタコ社長が、それじゃ、さくらさんは、女王様だ・・・ここで、一同大笑いになる。 エリザベス女王とフィリップ王子が日本を訪問したのは、1975年5月7日から12日にかけてですので、この映画公開直前の事です。フィリップ王子は、「おとなしそう」というおばちゃんの感想とは違い、公の場で、失言や、ひんしゅくを買うようなジョークを飛ばしてしまう事で有名で、一般庶民は、色々笑わせてもらえましたが、周辺の人たちは、「何か変なことを言いやしないか」と、ひやひやものであったかもしれません。(エリザベス女王の日本訪問中の写真は、 こちら で見れます。上の写真も、当サイトより拝借しました。)この2年後の1977年は、女王在位25年を記念する、シルバー・ジュビリーと呼ばれる式典が行われていますので、日本訪問の時には、もうすでにベテラン女王だったのです。笑顔で、立ち続け、手を振り続けるのも、慣れたもので。 「エリザベス女王のダイヤモンド・ジュビリー」と題して、女王在位60周年記念の式典について、ブログポストを書いたのも、もうすでに10年前の2012年! ロンドン・オリンピック の年でしたね。なんだか、つい最近の事の様ですが。

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ジェーン・オースティンの家の玄関を庭から望む  ハンプシャー州チョートン(Chawton)という村は、前回の記事で書いたギルバート・ホワイトの セルボーン村 から、北西に4マイルほど行ったところにあります。イギリスの女流作家ジェーン・オースティン(Jane Austen 1775-1817)が、人生の最後の8年間を過ごした場所で、彼女が住んだ家は、博物館として保存されています。 ここでジェーン・オースティンの生涯をざくっと書いておくと、 ジェーン・オースティンはハンプシャー州スティーブントンという村で牧師をしていた父の第7子として生まれます。彼女の後にもう一人男児が生まれており、きょうだいの中で、女児は、姉のカッサンドラ(母と同じ名)と彼女だけ。一家は、牧師業の他に、学校経営と農業で生計をおぎなっていたそうです。なにせ、子だくさんですから。 1783年から1786年にかけて、姉のカッサンドラと共に、オックスフォード(後にサウサンプトンへ移動)、その後は、 レディング の寄宿学校で、教育を受けます。 彼女は、スティーブントンでの生活を大変気に入っていたようで、1801年に父が引退し、職を長男に譲ると、バースへ引っ越すこととなるのですが、この時、ジェーンは、愛する地を去らねばならぬショックで卒倒したとか、しなかったとか。 1805年に、父が亡くなると、一時的にバースからサウサンプトンへ引っ越し。 彼女の兄で第3男のエドワードは、子供のいなかった裕福なナイト家という家族の養子となっており、チョートンの館(チョートン・ハウス)と土地を相続していたため、彼は、自分の敷地内にあったコテージに、母と、カッサンドラ、ジェーンを住ませる手はずを整え、1809年から、オースティン家の女性親子3人と、親しい友人マーサ・ロイド(彼女はずっと後、かなり年を取ってから、ジェーンの兄、フランシス・オースティンの後家となります)は、チョートンで、のんびりと田舎暮らしを開始。ここで、ジェーンは、「Sense and Sensibility」(知性と感性、1811年出版)と「Pride and Prejudice」(高慢と偏見、1813年出版)の原稿の手直しをし、「Mansfield Park」(マンスフィールド・パーク)、「Persuasion」( 説得 )、「Emma」(エマ)を執筆します。 ウィ

ギルバート・ホワイトのセルボーン

 イギリスには、parson - naturalist(聖職者であり自然科学者)と称される類の人が多く存在しました。当ブログで以前紹介した、 ジョン・レイ なども、著名なparson - naturalistの一人です。神が創造したこの世界の物をよりよく理解する事に必需性を感じた・・・というのが大きな理由のようで、田舎の牧師をしながら周囲の自然を観察、研究し、博物学に従事するというパターンが多かったようです。 ハンプシャー州にある小さい村、セルボーン(Selbourne)と言うと、すぐに、そうしたparson - naturalistの代表格である、ギルバート・ホワイト(Gilbert White、 1720-1793)の名が思い浮かびます。ギルバート・ホワイトという人物が、これほどしっかりと、彼が生涯を過ごしたセルボーンと深く結びついているのは、彼の有名な著作「セルボーンの博物誌」(The Natural History of Selbourne)のおかげ。 「セルボーンの博物誌」は、ギルバート・ホワイトが、他の2人の博物学者、トマス・ペナントとデインズ・バリントン宛に書いた手紙をまとめたもので、セルボーン周辺の自然や風土の観察が細かく記載されています。手紙と言っても、挿入されているものの中には、実際は投函されなかったものも含まれているとのことですが。 この本は、1789年に出版されて以来、一度も、出版が停止したことがないそうで、小さな村の自然の記録が、ここまで名著として後まで読み継がれるというのも、不思議な現象です。現在のイギリス自然科学者、博物者などでも、ギルバート・ホワイトを読んで、周辺の自然観察にめざめたなどと言う人は多いようですし。本内では、自分の観察や、経験の他にも、幾度か、ジョン・レイや、 カール・フォン・リンネ などにも言及、引用しています。 「セルボーン博物誌」に記述されている鳥やら小動物、植物の生態の描写などを読みながら、あ、そうそう、と納得するところもあり、本を手に取った時は、途中でつまらなくなるかな、と半信半疑で読み始めたものの、最後まで飽きずに読み切りました。 チャールズ・ダーウィン も、 みみずの研究 などを行っていましたが、ギルバート・ホワイトは、ダーウィンよりずっと以前に、みみずの自然生態に占める大切さに着目しています。または、動植
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ウェストベリーのホワイトホース

 前回のポストで、オックスフォードシャー州の アフィントンのホワイトホース のヒルフィギュア(丘絵)の話をしましたが、今回は、ウィルトシャー州のホワイトホースの丘絵に話題を移します。人呼んでウェストベリーのホワイトホース(Westbury white horse)。 ウィルトシャー州内には、かなり多くの白馬の丘絵が存在しますが、その中では、このウェストベリーのものが一番古く、また、最も景勝の場にあるという事。古いと言っても、アフィントンのものに比べれば、ぐっと新しく、最初に彫られたのは、1600年代後半ではないかと言われています。18世紀以前に、この丘絵に言及した記録は残ってないそうで。 おそらくは、 アルフレッド大王 が878年に、グスルムに率いられたデーン人の軍を破ったエサンドゥーンの戦い(Battle of Ethandun)、を記念するため彫られたのではないかと。この戦いは、または、エディントンの戦い(Battle of Edington)とも呼ばれていますが、戦いがあったとされるのは、この白馬の丘から2,3キロの場所ではなかったかと言われています。なんでも、17世紀には、アルフレッド大王人気が高まり、サクソン人がバイキングに勝利を収めた戦いを、白馬で記念するというのが流行った(?)という説明が、丘絵のそばの情報板に書かれてありました。これは、当時は、アフィントンのホワイトホースが、こうしたデーン人を負かした戦いを記念して、サクソン時代に作られたものだと信じられていたためのようです。アフィントンのホワイトホースは、今では、もっとずっと古い青銅器時代のものだと判明していますが。 ウェストベリーのホワイトホースは、1778年に、再び彫りなおされ、馬より、ラマと言った感じであったオリジナルのものより、この時、もっと馬らしく、現在の姿に近いものに、なったと言います。さらに、それから約100年後に、形が崩れ始めたのを、再び修復して、ほぼ現在の形に。今のホワイトホースは、白いペンキを塗ったコンクリート板をはめ込んで、固められていますが、これは1950年代に、メンテナンスの経費を落とし、手入れをラクにするために行われたそうです。 車内から取ったストーン・ヘンジなので、ちょっとぶれてます。 このホワイトホースの丘は、だだっ広いソールズベリー・プレイン(ソールズベリー高原)の

アフィントンのホワイトホース 

上空から見たアフィントンのホワイトホース(NTのサイトより)  いわゆるヒルフィギュア(丘絵、Hill Figure)と呼ばれるものは、主に、白亜( チョーク )や石灰岩の丘の斜面に絵を刻み込み、周囲の緑の草を背景に、白い地層をむき出しにしたものを呼びます。でも、時には、チョークや石灰岩層でない場所でも、茶色の土をむき出しにしたりしたものも見られます。また、地層がさほど白く見えない時は、ご丁寧に白い石をばらまいたり、ペンキを塗って白く見せたりと、色々努力をしている所もあるようです。 さて、そんなヒルフィギュアの中でも人気の題材は、白馬、ホワイトホース。そして、数ある、ヒルフィギュアのホワイトホースの中でも、一番古く、一番有名なものが、オックスフォードシャー州にあるアフィントンのホワイトホース(Uffington white horse)でしょう。 ホワイトホースのヒルフィギュアは、馬が左を向いているものがほとんどで、アフィントンのものを含め、右向きのものは4つのみだそうです。まあ、こんなのは、「右向き?だからどうした?」って、感じの情報ではありますが。確かに私も、馬やらの動物を描こうと思うと、自然と顔を左に描いてしまいます。右利きだと、そうした方が描きやすいのかもしれません。となると、「この馬の原画を描いた人物は、左利きか?」とつまらない憶測をしてしまいました。 イギリスの青銅器時代の紀元前1200~800年に彫られたという事で、その形は、他のホワイトホースの丘絵と比べて、抽象的、デザイン的で、「これは、本当に馬なのか、他の動物ではないのか」という論争もあるようです。が、11世紀にはすでに、これを「白馬」としてある記述が残っているという事。 さて、そして、これを何のために作ったかというのも、やはりもめるところ。地元の部族が自分たちの紋章として使い、「ここいらはおいらの土地」だというスタンプのようなものだったとか、宗教的意味を持つとか。なんでもケルト神話・ローマ神話には、エポナ(Epona)という馬の女神がいるのだそうで、彼女を祀ったものであるという話もあり。また、やはりケルト神話の光、火、治癒の神、ひいては太陽神として崇められたベレヌス(Belenus)を祀ったものであるとかも言われています。このべレヌスなる神様は、馬に乗っているところが描写されているとやらで、また
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